| 昭和 9年 5月25日 |
福岡県直方市に生まれる |
| 昭和28年 |
福岡県立福岡高等学校卒 |
| 昭和32年 |
明治大学経営学部卒 |
| 昭和31年 |
アマチュアボクシング全日本フライ級チャンピオン。
メルボルン五輪に日本代表選手として出場。準々決勝で惜敗。 |
| 昭和32年 |
アメリカ・シアトルで行われた世界ゴールデングローブ大会に日本代表選手として出場 |
| 昭和33年 |
プロボクサーに転向。 |
| 昭和34年 |
日本フライ級チャンピオンとなり、8月世界フライ級タイトルマッチで、チャンピオンのパスカル・ペレス(アルゼンチン)に挑戦したが惜敗。 |
| 昭和35年 |
レオ・エスピノサ(比国)に挑戦し、東洋バンタム級チャンピオンとなる。5月、世界バンタム級タイトルマッチで、チャンピオンのジョー・ベセラ(メキシコ)に挑戦したが惜敗。の後、東洋バンタム級タイトルを5度防衛の偉業を成す。 |
| 昭和38年 |
現役生活を退き、同時にヨネクラボクシングジム開設。 |
| 平成 7年 3月29日 |
文部大臣よりスポーツ功労賞を授与される。 |